江工会関東支部総会にも出席された江工出身の三沢淳さんが死亡され、まだ若いのに非常に欲しい人を失ったと思います。心から故人のご冥福をお祈りいたします。
通算107勝挙げた三沢淳さんが、3月3日に中皮腫のため名古屋市内の病院で死去したと発表があった。69歳だった。
三沢氏は1970年江津工(島根)でドラフト三位で指名され、新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)を経て、72年中日に入団。右投げのアンダースローで、主に先発として活躍した。
現巨人の監督原辰徳氏の、現役一年目の1981年4月4日、中日戦に「6番・二塁」で出場した原監督にとって、三沢さんはプロ初打席の対戦相手。二飛に打ち取られたことは記憶に鮮明に残っている。「すごい投手だなと思ったね。」
当時は希少種だった下手投げからのシュートなどの変化球を繰り出し、73年から3年連続で2桁勝利。74年、82年と2度のリーグ優勝にも貢献した。
85年,86年に日本ハムに所属。86年に現役引退。
通算生成器は505試合で107勝106敗、防御率3.81。
96年には衆議院選の愛知4区で新進党から出馬して初当選。一期務めた。
1970年夏の甲子園、一回戦の鹿児島商工を5安打完封。